クルマを保有していて、
「好きだけど、正直ちょっとしんどいな」と感じたことはありませんか。
僕はありました。
洗車に1時間。
任せれば数千円、内容次第では1万円近くかかる。
なぜか一番お金が苦しい5月下旬に、まとめてやってくる税金。
夜、駐車場に停めるたび、盗難やいたずらが少し気になる。
ショッピングセンターでは、
駐車場に入れない、出られない。
トイレに行きたいのに、身動きが取れない。
どれも、致命的な話ではありません。
ただ、こうした小さな負担が積み重なって、
休日なのに、なぜか疲れている。
そんな感覚が、いつもどこかに残っていました。
クルマを持たなくなって、
一番変わったのは移動手段ではありません。
この「休日の感覚」でした。
クルマを持っていた頃、僕の休日はいつも疲れていた
今振り返ると、
クルマを持っていた頃の休日で
「しっかり休めた」と感じた記憶は、あまり多くありません。
出かける前から、
洗車はどうするか、どこに停めるか、何時に出るか。
渋滞にハマらないルートや、帰りの時間まで、
頭のどこかでずっと考えていました。
誰かに強制されていたわけではありません。
むしろ、すべて自分で選んでやっていたことです。
「せっかくクルマがあるんだから」
「休みなんだから、どこか行かないともったいない」
そんな気持ちが、いつの間にか前提になっていました。
その結果、
一日出かけて帰ってきた夜に残るのは、
満足感より先に、どっとくる疲労感でした。
体を動かしたから疲れた、というより、
ずっと気を張り続けていたから疲れていた。
今思うと、そんな休日だった気がします。
クルマ自体が嫌いになったわけではありません。
運転も好きでしたし、遠出が楽しい日も、確かにありました。
ただ、休日のたびに、
「ちゃんと使い切らなければいけないもの」
のように感じていたのは事実です。
クルマを持たなくなった、最初の違和感

クルマを手放した直後は、正直少し戸惑いました。
休日の朝、
「今日はどこへ行こうか」と考える時間が、
急に増えたからです。
行き先が決まっていない。
予定も白紙。
最初は、少し落ち着きませんでした。
これまでなら、
「せっかくの休みだから」と
自然にクルマに乗っていたからです。
何もしない休日が、だんだん心地よくなった

不思議なことに、その違和感は長く続きませんでした。
近所を少し散歩してみたり、
電車で一駅だけ移動して、コーヒーを飲んで帰ったり。
何も決めずに外に出て、何もせずに戻る。
そんな過ごし方が、
思った以上に楽でした。
移動そのものが目的ではなくなり、
「今日はここまででいい」と
自分で区切りをつけられるようになった感覚です。
“休日の感覚”が変わった瞬間

決定的に変わったのは、
「今日は何もしなくていい」と思えるようになったことでした。
クルマがないと、
遠出は少しだけハードルが上がります。
でもその分、
動かない選択も、自然に受け入れられる。
移動がイベントではなく、
必要なときの手段に戻ったことで、
休日の主導権が、自分に戻ってきた感覚がありました。
クルマを手放して分かったこと

クルマを持たなくなって、
こんなことを感じるようになりました。
- 休日は「使い切るもの」じゃない
- 予定がない=失敗ではない
- 移動しない休日も、ちゃんと休日
- クルマがない方が、時間は自由になることもある
どれも、
クルマを持っているときには
なかなか気づけなかったことです。
それでも、クルマが嫌いになったわけじゃない
誤解してほしくないのですが、
僕は今でもクルマが好きです。
運転は本当に楽しいですし、
乗るときは、やっぱり気分が上がります。
ただ、
所有しない距離感が、
今の自分には一番ちょうどいい。
必要なときに借りる。
それ以外は、歩くか、電車に乗る。
そのバランスが、
休日を一番ラクにしてくれました。
まとめ
クルマを持たなくなって失ったのは、
「遠くへ行く理由」かもしれません。
でも代わりに、
何もしない休日を、ちゃんと休日だと思える感覚を手に入れました。
もし今、
「休みの日なのに疲れている」と感じているなら、
それは、あなたが怠けているからではありません。
ただ、
休日の主役が、まだ“移動”のままなだけかもしれません。


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